気になった章のみ読んだゆえの意見になります。
冒頭から谷崎潤一郎さんの文章読本への言及と近代日本語を成立させるために
当時の小説家の大きい貢献を語っておられる。
日本語の歴史を紐解けば幕末と明治に大きな変化を遂げます。
明治時代はルー大柴さんのように一部の階級の会話には英語が多用されていました。
危機を感じた小説家や学者により主に西欧の小説を
日本語に翻訳する過程で新しい日本語が出来ます。それが近代日本語です。
語彙の翻訳には当時の一流知識人たちが漢籍から探し出して日本語として定着させ
日本語の文体としては小説家たちが貢献しました。小説の表現技法も色々取り入れられ
一部は現代まで常識として用いられております。小説家たちは翻訳小説や外国文法も参考にして
しゃべるように、しゃべる通りに日本語を構築して
かゆいところへ手の届くとも言える細かな表現や論理を用いることができるようになります。
明治の知識人で語彙の他に文体にも影響を与えた猛者たちがいました。その集大成が文語訳聖書です。
現代でも引用される明治の文語訳聖書は学術的に少し問題のある翻訳内容でしたが
もうひとつの近代日本語であり、あらゆる芸術表現の言語のなかでも完成形のひとつです。
さまざまな苦労を経て明治にはとりあえず近代日本語は形作られます。
丸山さんはある程度は細かい表現もできるようになった現代日本語に辛口を述べます。
ひとつは論理性です。世界のどのような言葉も意味が通じないと困るから
ある程度の論理性のあることを前置きしつつも
日本語は西欧の言葉と比べて関係代名詞がほとんどなく
少し長い表現になればわかりにくいと言います。
文法の構造から語尾の単純さも注意してます。
文語には現代日本語よりも語尾がありました。
極一部の小説家や詩人が紡ぎ出す洗練された現代日本語を除いて
現代日本語の表現・文体に不快感を表明されてるのはわかります。
特に雑誌や政府の文書に書かれている日本語のことだそうです。
上記のような問題点を工夫して気にならないようにしている猛者も複数いるが
小説家が用いる洗練された現代日本語は個人の才能と努力によるたまもので特殊であり
教育やお手本として普及させるのは難しく、問題があると述べます。
近年ではその特殊と言われた日本語作法を一般に普及させるための書籍やウェブ記事が増えて
いい傾向だと思います。
思えば、論理性を大事にした日本語の練習を学校でしたことがありません。
教科書を用いて訓練するのは単語・文法や作者の気持ちの読み取りくらいです。
小説やエッセイから名文を選んでいる方々のセンスは疑っていませんが
論理性を重視したお手本の文章はなかった。
新しい学習指導要領によると、論理性を大事にした教育にするそうですが
ここまで来るのに長かったです。
しかし、安心してはいられない。
丸山さんも言うように、複雑化した近代の世界を生きる現代人には
複雑な事柄を描写できるようもっと日本語を変化させないといけないでしょう。
10代の頃、思索に耽った際に気づいたことがあります。
哲学のように細かい事柄を考える際や誰かに伝える際に
現代日本語で表現しようとすると苦労しました。
一つは言葉の構成に気をつけても、二通りの解釈ができてしまう表現になってしまうこと。
もう一つは同音異義の多さです。文字で伝える際には大丈夫ですが
音声だけで伝える際に文脈だけでは難しく漢字を説明する必要があり
言葉の数を文字の時より増やして伝えないといけないことです。
日本語はわざわざ説明しなくても、文脈的に理解できるであろう事柄は
出来る限り、省略してきた歴史があります。
問題は省略せずに言葉を構成しても、細かいことが伝わりにくいのです。
現代日本語の貧しさは現代日本人の精神や現代文化の貧しさが
言葉に出ている、影響しているというのは恐らくそうでしょう。
素晴らしい現代文化を生み出せれば日本語もそれに応じた素晴らしいものになる可能性がある。
それには明治時代に起きた言葉の変化以上のことが必要でしょう。
日本人の意識・慣習も変えないといけない。
昔から哲学のように細かい事柄を細かい言葉にして追求する国民ではなかった。
接続詞や接続助詞が発達しそうになっても、省略してしまい、長いこと発達しなかった。
そういうことを変えていかないと、複雑な事柄に対応できる言語に変化するのは難しい。
それを成し遂げるのは現代日本人の務めとも言える。
2022年 9月 追記しました。
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文章読本 改版 (中公文庫 ま 17-9) 文庫 – 1995/11/18
丸谷 才一
(著)
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- ISBN-104122024668
- ISBN-13978-4122024663
- 出版社中央公論新社
- 発売日1995/11/18
- 言語日本語
- 本の長さ395ページ
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登録情報
- 出版社 : 中央公論新社 (1995/11/18)
- 発売日 : 1995/11/18
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 395ページ
- ISBN-10 : 4122024668
- ISBN-13 : 978-4122024663
- Amazon 売れ筋ランキング: - 70,054位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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著者について
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1925(大正14)年、山形県鶴岡市生れ。東京大学英文科卒。1957年『笹まくら』で河出文化賞、1968年「年の残り」で芥川賞受賞。その後、小説、評論、エッセイ、翻訳と幅広い文筆活動を展開。『たった一人の反乱』(谷崎潤一郎賞)『裏声で歌へ君が代』『後鳥羽院』(読売文学賞評論・伝記部門) 『忠臣藏とは何か』(野間文芸賞)「樹影譚」(川端康成賞)『輝く日の宮』(泉鏡花文学賞、朝日賞)等、多くの著作がある。(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 人間的なアルファベット (ISBN-13: 978-4062160995)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
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2020年4月16日に日本でレビュー済み
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2017年8月9日に日本でレビュー済み
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ぼくの能力に余るが、例文がそれを補ってくれる。読む者に、咀嚼をする楽しみを与えてくれる。学び直しも又、楽しい。こう言う文章に出会うと脳みそが撹拌される思いだ。
2014年4月28日に日本でレビュー済み
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この人の文章なら読みたい。そんな名文を書くにはどうしたらよいのでしょうか。いや、名文などでなくても、読んでよかった、と三回か四回に一度くらい、思っていただけるくらいにはなりたいと。
井上ひさしさんは、この本、とくに、第二章「名文を読め」を繰り返し読むのが良い、と書いていました。
丸谷さんは、この章題のとおり、自分にとっての名文を何度でも読み、熟読し、ときに音読し、「心の底に貯へ」ることで、文章の書き方を学べる、と述べています。才能とは伝統の学び方の才能であり、「先人の語彙、過去の言ひまはし」が、わたしたちの文章を織る際の糸になると。わたしたちは、新しい「言葉」の創造などできず、ただ在来の言葉を組み合わせて新しい「文章」を書こうとするだけだと。
ところで、この第二章に名文の例が引かれていて、志賀直哉や佐藤春夫、石川淳の口語体は読めても、世阿弥、石川、斎藤緑雨などの文語体は、お手上げでした。丸谷さんや井上さんは、こうした文語体にこそ、日本語の伝統があり、口語体の基礎にもなっている、と言うことなのでしょうけれども。ぼくは、名文は、口語体だけにしておきましょう。
他の章にも、文章を書くためのヒントがちりばめられています。
引用は、引用する人とされる人を一体化し、今ここに過去を呼び出すことであり、必然性のある引用は長くてもかまわないが、引用文に負けない質の文章を自分も書くこと。
抽象的な、あるいは、観念的な言葉より、具体的なイメージをもたらす文章を書くこと。(「元気です」より「毎朝、四時に起き出し、仕事にとりかかり、明るくなれば、表を掃いています」、というようなことだと思います)。イメージは文章に説得力をもたらすこと。イメージ喚起には、名詞より、むしろ、動詞が大事であること。これは、聖書の読み方のヒントにもなります。神やイエスの行為は、動詞の羅列で表現されることがしばしばあります。
ただし、イメージが大事でも、イメージ的な例話と結論の論理的関係が明確でない場合、うさん臭くなるとも。けれども、ぼくは、口話の場合、例話や体験談、時事ネタなどには、聞き手のリラックスや注目を促す効果も期待できるので、かならずしも、論理的な連関がなくても、あるいは、ゆるやかでもよいのではないか、とも思います。文章は、そういうわけには行かないでしょうけれども。
文体とは、わかったようでわからない言葉ですが、丸谷さんは「ちょっと気取って書く」こと、あるいは「気取らないふりをして気取る」こと、これが文体の核心であり、「装ふといふ心意気」と「装ふ力」が必要だと言います。
その他、対話的な文章、螺旋階段的な文章が望ましい、文章を書くとは直線を引くことではなく平面を織りあげていくことなど、有益な示唆が並んでいます。
あるいは、過去のことを述べる時も現在形をまぜる、「である」づくめは止めて、「だけれど」「なのに」、体言止めなどの結びも差し込んでみる、ともありました。
話を戻すと、名文を読むことは、型つまりは修辞法、レトリックを身につけることにほかなりません。けれども、日本の近代化においては、江戸期の過剰な様式は捨て去られ、西洋文明は様式とは無縁の率直、露骨なものだと勘違いされてしまい、富国強兵、帝国主義という、レトリックなきもの、文体のないものが横行した、と丸谷さんは言います。言いたげでした。「レトリックをしりぞけて、現在の言葉だけで語らうとするとき、われわれの世界はたちまち浅くなり、衰へる」(p.374)と。(明治憲法は論理的にも不誠実な悪文だとも。)レトリックがなくなる時、戦争が起こり、人が苦しめられるのです。
であれば、ぼくたちが、名文を読み、それを少しでも、自分の駄文にも反映させようとすることは、世界平和、深みのある世界の生存の、すくなくとも、方角は向いているのではないでしょうか。ぼくの場合、心の奥底に貯まって浮かんでこないか、底に穴が空いているか、ですけど。
井上ひさしさんは、この本、とくに、第二章「名文を読め」を繰り返し読むのが良い、と書いていました。
丸谷さんは、この章題のとおり、自分にとっての名文を何度でも読み、熟読し、ときに音読し、「心の底に貯へ」ることで、文章の書き方を学べる、と述べています。才能とは伝統の学び方の才能であり、「先人の語彙、過去の言ひまはし」が、わたしたちの文章を織る際の糸になると。わたしたちは、新しい「言葉」の創造などできず、ただ在来の言葉を組み合わせて新しい「文章」を書こうとするだけだと。
ところで、この第二章に名文の例が引かれていて、志賀直哉や佐藤春夫、石川淳の口語体は読めても、世阿弥、石川、斎藤緑雨などの文語体は、お手上げでした。丸谷さんや井上さんは、こうした文語体にこそ、日本語の伝統があり、口語体の基礎にもなっている、と言うことなのでしょうけれども。ぼくは、名文は、口語体だけにしておきましょう。
他の章にも、文章を書くためのヒントがちりばめられています。
引用は、引用する人とされる人を一体化し、今ここに過去を呼び出すことであり、必然性のある引用は長くてもかまわないが、引用文に負けない質の文章を自分も書くこと。
抽象的な、あるいは、観念的な言葉より、具体的なイメージをもたらす文章を書くこと。(「元気です」より「毎朝、四時に起き出し、仕事にとりかかり、明るくなれば、表を掃いています」、というようなことだと思います)。イメージは文章に説得力をもたらすこと。イメージ喚起には、名詞より、むしろ、動詞が大事であること。これは、聖書の読み方のヒントにもなります。神やイエスの行為は、動詞の羅列で表現されることがしばしばあります。
ただし、イメージが大事でも、イメージ的な例話と結論の論理的関係が明確でない場合、うさん臭くなるとも。けれども、ぼくは、口話の場合、例話や体験談、時事ネタなどには、聞き手のリラックスや注目を促す効果も期待できるので、かならずしも、論理的な連関がなくても、あるいは、ゆるやかでもよいのではないか、とも思います。文章は、そういうわけには行かないでしょうけれども。
文体とは、わかったようでわからない言葉ですが、丸谷さんは「ちょっと気取って書く」こと、あるいは「気取らないふりをして気取る」こと、これが文体の核心であり、「装ふといふ心意気」と「装ふ力」が必要だと言います。
その他、対話的な文章、螺旋階段的な文章が望ましい、文章を書くとは直線を引くことではなく平面を織りあげていくことなど、有益な示唆が並んでいます。
あるいは、過去のことを述べる時も現在形をまぜる、「である」づくめは止めて、「だけれど」「なのに」、体言止めなどの結びも差し込んでみる、ともありました。
話を戻すと、名文を読むことは、型つまりは修辞法、レトリックを身につけることにほかなりません。けれども、日本の近代化においては、江戸期の過剰な様式は捨て去られ、西洋文明は様式とは無縁の率直、露骨なものだと勘違いされてしまい、富国強兵、帝国主義という、レトリックなきもの、文体のないものが横行した、と丸谷さんは言います。言いたげでした。「レトリックをしりぞけて、現在の言葉だけで語らうとするとき、われわれの世界はたちまち浅くなり、衰へる」(p.374)と。(明治憲法は論理的にも不誠実な悪文だとも。)レトリックがなくなる時、戦争が起こり、人が苦しめられるのです。
であれば、ぼくたちが、名文を読み、それを少しでも、自分の駄文にも反映させようとすることは、世界平和、深みのある世界の生存の、すくなくとも、方角は向いているのではないでしょうか。ぼくの場合、心の奥底に貯まって浮かんでこないか、底に穴が空いているか、ですけど。